地球村創造宣言
多くの人が、今、人類は存亡の危機に直面しているという考えに同意されることでしょう。ただ、私が人類の存亡について危惧しているのは、核兵器による戦争の脅威、地球温暖化による地球破壊の恐怖だけを語っているのではありません。人類の未来が見通せないことを危惧しているのです。そんなことはない。IoT革命が進展して新しい時代がすぐそこまで来ているではないかと反論する方も多いでしょう。本当にそうでしょうか。あなたには未来が見えていますか。生きることに希望を見出していますか。そう問い詰めると、疑問が沸き起こってくるのではないでしょうか。
人間は、社会が閉塞感に覆われてくると、精神の行くべき方向を見失い立ち往生してしまうのです。人間は生きることに希望を失い、社会に背を向けるか社会に反逆するようになっていきます。戦争の危機、テロ、富の格差、家庭崩壊、心の病・・・。現在世界中で起きている現象は、人類社会が閉塞感に覆われて未来が見えないことに根本的な問題があるのです。
現在、人類歴史は工業社会に安着できるか否かの剣が峰にあります。文明自体が崩壊することも十分考えられます。暗黒の中世と呼ばれる時代が訪れるかも知れません。人類は、社会を刷新して新しい時代を切り開かなければならないのです。
かつて、産業革命が勃興しようとしていた18世紀、イギリスは富裕な商人と貧民窟が同居し、光と影のはざまにありました。経済学の始祖アダム・スミスは、この時代背景の中で、「国富論」を著わすとともにもう一つの主著「道徳感情論」を著わし新しい時代のあり方を示しました。新しい時代を切り開くには、新しい時代の社会システムとともにそれを担う新しい時代精神の覚醒が必要だったのです。資本主義と呼ばれる社会経済システムは、自らの心の内にある良心の判断(勤勉、公正、正直など)を共通の前提とすることによってはじめて成立したことを心に留めないといけません。
しかし、産業革命とともに進展してきた人類社会は、今大きな岐路に差し掛かっています。個人の自由な経済活動(資本主義と称されてきた)は、富と市場の争奪戦を行ってきましたが、それは人間社会に大きな歪みをもたらし社会を揺るがしてきました。
資本の論理は格差を拡大させていきます。現在、富裕者上位1%の人が世界の半分以上の資産を握っています。しかもその格差は広がり続けています。その一方で、世界の約8億人が飢餓に苦しみ、生存の危機にさらされています。それだけではありません。現代社会では、ほとんどの人がこころの病あるいは精神疾患に悩んでいます。欧州では、38%の人がこころの病の苦しみに悩んでいるという報告もあります。
かつて人間の生存の基盤であった家庭と共同体は、その役割をあまり果たせなくなり、その結果人間は行き場のない苦悩にさいなまれるようになっているのです。ゲーテが言ったように、ほとんどの人が病人のようになり物的精神的介護が必要であるようになったのです。
それだけではありません。自由な経済活動は、一部の人たちが地球資源と地球環境を無条件に占有することを容認し、人類共通の財産を破壊し危機に陥れています。地球は、温暖化により悲鳴をあげているではありませんか。身近なコミュニティーでは、地域環境が分断されて有機的な姿を保てなくなっているではありませんか。人類社会はいつ荒廃しても不思議ではないのです。わたしたち人間はこのまま滅亡せざるを得ないのでしょうか。
さらにより深刻な事態が進展しています。一部の権力者が富と情報を独占することにより、人間をコントロールしようとする兆候が見られるのです。独裁政権や共産主義のことだけを指しているのではありません。世界の寡占企業が、人工知能(AI)とクラウドサービスを通じて人間をコントロールしようとしてきているのです。人工知能(AI)によって職業を奪われるだけではありません。私たちは、知らず知らずのうちに洗脳されていくのです。何を馬鹿な!と思われるかもしれません。実は、このことは私が25歳の時論文で指摘したことなのです。「計画社会が到来する。計画は、権力者、専門家によって立案され誘導される。人間は計画の筋書きに従う従順な羊になっていく。やがてその計画立案者の地位を人工知能(AI)が奪い、人間は機械のように歯車になっていく。そこには何の喜びも楽しみもない世界が展開されることになる」。私たちは、恐ろしい時代のはざまに生きているのです。
問題は何でしょうか。それはすべて、「人間は自分中心で我欲が強く他人を従属させる」という性にあることに起因しているのです。釈尊は問題の本質を悟って、無我の境地に至ることが重要であると説きました。ただ、釈尊が見つけた道は出家というこの世を捨てる方法でした。この世では無我に至ることが難しかったのです。この世は、悪魔(我欲の支配者)が支配する対立抗争を繰り返す住みにくい世界のままにおかれました。だから人間は、現世においては苦しい人生を歩まざるを得ませんでした。
日本民族は、今まで海に囲まれた島国であったが故に、世界でもまれな純朴で平安な生活を過ごすことができてきました。その中で、すばらしい家庭の伝統、民族の相互扶助の精神を育むことができました。これは、神が地上天国を作るために準備されてきたことでした。しかし、世界とのつながりが緊密になる中で、世界の邪悪な価値観に巻き込まれています。明治維新前後から始まる宗教の勃興は、危機到来を知らせる警告でした。そして今、民族存亡の危機は頂点に達しようとしています。この危機を乗り越えるためには、中に入り込んだ邪悪なるものを排することによって、神の復権と人間復興をなされなければなりません。
ではなぜ、この世の対立抗争・苦はなくならないのでしょうか。宗教家が発見したことは、人類始祖の堕落という事件でした。神と人間は親子であると多くの宗教が説きながらも、神と対話できないという姿が堕落した故の人間の姿でした。自分中心の観念に陥り対立抗争を繰り返すみじめな悲しい姿がこの世の人間の姿なのです。この世における救いは一人の人間の努力だけによっては難しいと気づいた宗教家は、いつの日かこの世に救いをもたらしに来られると予言された救世主(メシアとか弥勒)の降臨に希望をつなげます。救世主によって道が開かれる。そう信じてきたのです。人間は、自分の心の中に巣食う支配権・我欲を乗り越えて、神につながって利他愛の精神を発揮してこの地上で生きる規範(道)―共生・共存・共栄の地上天国―を築くことが重要なのです。
この目標を実現するために地球村創造宣言を宣布いたします。孔子が仁「己に克ち、礼(天の道理に則したこの世における人間関係の決まり)に従うこと」を説いたように、現代社会においても本然の人生が歩める社会を創造しなければならないのです。そしてその中で人間としての愛を完成していかなければならないのです。
【地球村創造研究所の理念】
- 人間としての修養、成長、完成
- 愛に満ちたすばらしい家庭の完成
- 相互扶助精神に満ちた社会、国家、世界の構築
- 人ともの・環境が共存共生する地球環境の実現
2017年11月11日 藤井 克昭
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